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神戸女子大学のWebマガジン「シンジョマグ」

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Graduate

神戸女子大生のあの頃と今。卒業生のプチ同窓会を開催!<後編>

保護者の方にもおすすめ

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2023.9.22

神戸女子大生のあの頃と今。卒業生のプチ同窓会を開催!<後編>

とある夏休みの日曜日。この日は神戸女子大学で学び、企業や公務員、主婦としてさまざまシーンで活躍する卒業生9人組を招待し、プチ同窓会を開催しました。集まったみなさんに『今までの人生の満足度』を聞いてみると、全員が90%以上と回答してくれました。学んだことを活かし、自分の人生を豊かにすることができた卒業生からお話を聞きました!卒業生のガクチカや思い出を中心に、在校生へのメッセージ盛りだくさんの後編をどうぞ。<前編>をお読みでない方はこちらから。 https://nyushi.kobe-wu.ac.jp/mag/parents/article-6016/ 卒業アルバムで振り返る!『ガクチカ』を聞いてみた 懐かしすぎ!面白すぎ!と大盛り上がり。 ここからは卒業アルバムを見ながら、学生時代に力を入れたこと『ガクチカ』や思い出を教えてください。 岡田さん「私はゼミでのウエディングドレス制作ですね。決められたルールの中でどう個性を出すか、満足のいくウエディングドレスを作ろうと必死でした。」<岡田さんの経歴>卒業後、神戸の医療機関で健康診断事務として8年間勤務。現在は業務ソフトウェア販売会社でカスタマーサクセス業務を担当しています。学生時代は「自分の結婚式では自作のウエディングドレスを着たい」という想いから、ウエディングドレスの制作ができる十一先生のゼミに所属。卒業してから数年後に挙げた結婚式では、オリジナルドレスを着用する夢を叶えました。 実際の式の写真。オリジナルドレスで想いを込めた特別な結婚式を実現。 金谷さん(スウェーデンからZoomで参加)「私は当たり前ですが『ちゃんと授業を受けよう』と意識していましたね。元々『海外に行きたい』という想いが強かったので、イタリア語、英語、中国語、ドイツ語など複数の言語科目を取得していました。」周囲からは、金谷さんが語学習得へ本気で取り組んでいる姿は印象的だったという声がたくさんあがりました。<金谷さんの経歴>在学中は、衣服に使われる繊維であるセルロースを研究対象として学ぶ山根先生のゼミに所属。卒業後は上海の大学へ約1年間の語学留学に挑戦。その成果として、上海の国際物流会社で新規開拓の営業として2年半勤務。現在はスウェーデンに移住し、主にトラックのパーツを取り扱うバイヤーとして活躍。海外で生活するという夢を実現させています。 スウェーデンからZoomで参加してくれた金谷さん。 秋吉さん「私は『服飾研究会』かな。関西の大学サークルが集まって、Zepp大阪でランウェイを歩くというファッションショーがあったんです。自分たちでイベントの構成、衣装のデザインを考え、実際に衣装を作ってモデルを集めて参加しました。今考えると無茶とも思えるスケジュールだったけど学生時代にしかできなかったと思います。」<秋吉さんの経歴>在学中は興味のあった被服関連を中心に学び、戦後の着物や色彩についての研究を行うゼミに所属。現在は新卒で入社した有名アパレル会社での勤務を続け、現在は出産・育児を機に時短勤務に変更。ライフステージの変化に合わせながらキャリアを続けています。 写真右奥 秋吉さん 小倉さん「服飾研究会には私も参加していたんですが、やりたいことを形にする楽しさを知りました。他の大学との交流が生まれる場でもあったので、縫製方法を教えてもらうなどスキルアップできる良い機会でした。Zepp大阪でのイベントは準備期間が2か月しかなく、寝る間も惜しんで作業をしていました。そういった大変なことでも楽しみながらできるメンバーと一緒にやり遂げた経験は財産になっていますね。」<小倉さんの経歴>ゼミでは戦後の着物の柄や色彩の特徴をまとめ、どのようにモダンな着物へと移り変わっていったのかを研究。卒業後は服飾の専門学校に入学し、さらに知識と経験を蓄積。その後、大手アパレル企業に就職し、商品企画を担当。現在はフリーランスとして東京を拠点にさまざまな大手企業と取引されています。 小倉さんは自らデザインした洋服で参加 卒業生の皆さんに共通していたことは、やりたいことや『目標』に対して真剣に取り組んだ経験があるということ。自分からアクションを起こすことで、うまくいかないことがあっても「どうにかしてやり遂げる」という考えや工夫が生まれ、その経験が自信に繋がっていくのだと感じました。 学業以外のキャンパスライフの思い出も聞いてみた 福井さん「本当にゼミ以外の時間はほとんどみんなと一緒に過ごしていましたね。誰かの誕生日の時は必ずみんなで食堂に集まって、用意したケーキでお祝いしてました。」一宮さん「みんなで学校帰りに夜ご飯を食べに行った後、遅くなっちゃったときには学校の下宿してる子の家にお泊りとかよくあったね。」小倉さん「7人乗りの車を借りてみんなで運転して、旅行にも行ったなぁ。あれどこやっけ?ナガシマスパーランド?」岡田さん「そうそう。ほとんど運転したの私やけどな!(笑)」 女子大生の青春。これもリアル。 みんなで(ほぼ岡田さん)運転していった旅行。仲間内で流行っていたポーズの写真。 仲間内で流行っていたポーズを再現! 卒業生から後輩へ。今こそ伝えたいメッセ―ジ 社会人の先輩として、在学生にメッセージをお願いします。 秋吉さん「神戸女子大学ではさまざまな資格が取れたり、課外活動のチャンスも多いと思います。『今、忙しい!』『遊びたい』『ちょっとでもラクしたい』と思ってチャレンジしないことは本当にもったいないです。自分の将来に役立つかもしれないと思うことには積極的に挑戦すると良いと思います。」 岡田さん「学力だけではなく思考力を身につけておくと、社会に出てから役立つと思います。普段、何気なくしていることでも、『なぜ』しているのか、『なぜ』それを使うのか、理由や根拠について考える習慣をしておくことで、自分で考える能力が身に着くと思います。そういった習慣や能力は社会人になってから急に身に着くものではないので、今のうちです!」小倉さん「今の時代はSNSなどの普及で何でも『知った気になってしまう』ことが多いと思います。卒業論文の制作時にも言われると思いますが、その情報が正しいかを気にかけ、本物の知識を身に付けることを意識してください。」 福井さん「同じ場所で、同じことを学ぶ人が周囲にいる環境って大学が最後。それって生涯の友人と出会うには最高の環境だから、積極的にたくさんの人と関わってみて欲しいと思います。私たちのグループは今でも連絡を取り合っているほど仲が良いので、社会に出てから辛いことがあっても『あの子も頑張っているし!』と思って踏ん張れることもありました。」一宮さん「今の神戸女子大学には、チャレンジする学生を応援するための準備が整っています。課外活動に対する助成金制度が出来て、快適に過ごせるスペースや設備が整備されました。ただ授業を受けるだけではなく、授業以外の経験をするためにどんどん学校を活用して欲しいです。何をしていいかわからない!という人は、地域連携推進センターにきてくださいね!」 現在通われている在学生の皆さん、これから神戸女子大学への進学を検討されている高校生の皆さん。神戸女子大学では、多様な学びを提供する学科だけでなく、さまざまな経験を得るためのサポート体制が整っています。1人でも多くの学生が明るい未来を歩めるように、充実キャンパスライフを過ごしてくれることを願っています!

神戸女子大生のあの頃と今。卒業生のプチ同窓会を開催!<前編>

保護者の方にもおすすめ

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2023.9.22

神戸女子大生のあの頃と今。卒業生のプチ同窓会を開催!<前編>

とある夏休みの日曜日。この日は神戸女子大学で家政学科で学び、企業や公務員、主婦としてさまざまシーンで活躍する卒業生9人組を招待し、プチ同窓会を開催しました。集まったみなさんに『今までの人生の満足度』を聞いてみると、全員が90%以上と回答してくれました。学んだことを活かし、自分の人生を豊かにすることができた卒業生からお話を聞きました!まずは、なぜ神戸女子大学に入学したのか、入学後のキャンパスライフを中心とした前編をどうぞ! 集合して早々、楽しそうな空気感 スウェーデンで活躍する卒業生はオンラインで参加! 入学当初の雰囲気や志望理由から見える神戸女子大学の魅力 まずは皆さんが仲良くなったきっかけを教えてください。 一宮さん「席が近かったから、という単純な理由が大きいと思います(笑)当時の家政学科は出席番号でAとBの2クラスに分けられていたんですが、それでも合計70人ほどだったので今以上に距離が縮まりやすかったのかもしれません。少人数やクラス制で、みんなに居場所ができるんですよね。」<一宮さんの経歴>学生時代は梶木先生のゼミに所属し、地域の防犯や防災対策の現状を調べ、まちづくりに関する研究を行いました。卒業後は子供服ブランドの会社に勤務。現在はその民間企業での経験を活かして本学の地域連携推進事務室で勤務。地域と学生を繋ぐ業務を担当しています。岡野さん「たしかにはじめは『自分の周り、明るくてうるさいやつ多いなぁ』とか思ってたんですけど、時間が経つにつれてどんどん仲良くなっていった気がします。入学式が終わってすぐに全体懇親会のようなものを企画した人がいて、そこでも距離が縮まった気がするよね。」<岡野さんの経歴>学生時代には着物のように直線的に裁断した布を縫い合わせて衣服を作る「被服平面構成」をゼミで学び、卒業後はアパレル会社で5年間勤務。大学で学んだ幅広い教養を活かし、現在は兵庫県内の市役所で勤務されています。 写真中央 岡野さん 皆さんはなぜ神戸女子大学に進学したのか教えてください。 福井さん「私の姉が神戸女子大学に通っていたんです。その姉がいつも楽しそうだったので元々興味を持っていて。当時は神戸近郊で教員免許を取れる大学があまりなかったと思うので、自然と第一志望校でした。その上、教員免許以外の資格もたくさん取れるということが私にとっては最大の理由でしたね。」<福井さんの経歴>学生時代は大森先生のゼミに所属。就活用パンプスの開発を目指し、パンプスを履くことによってかかる足圧の研究に没頭していたそうです。卒業後は中学校の家庭科教員として日々生徒指導にあたっているそうです。 写真右から福井さん、松村さん 松村さん「私は服飾関係の職につきたいと思っていたのですが、専門学校では将来の選択肢が狭まってしまうのではないかと心配していたんです。そんな時に神戸女子大学なら服飾について深く学びながら、幅広い大学としての学びも得られることを知り、すぐに受験を決めました。」<松村さんの経歴>卒業後はアパレル会社に就職し、結婚と出産を機に退職。現在は専業主婦をされています。在学中のゼミでは、神戸女子大学70周年を記念して作られたオリジナルキャラクター「こじょこじょ」を用いて、神戸市の夏祭りイベントへの参加など大学のPR活動を実施。岡田さん「私は、私生活でも役に立つ知識が欲しくて家政学科を志望していました。いろいろな大学を見て回りましたが、決め手は入試方法でした。筆記試験が少し不安だったので『1科目の筆記試験と面接』で受験ができると知り、自分が得意な1科目の勉強と、自信をもって話せる面接で合格が掴める!と思ったんです。」 先生と偶然の再開!ここにも神戸女子大学の魅力が。 楽しく過ごしていると、家政学科の大森先生が姿が…。大森先生は福井さんの所属ゼミの先生!ということで声をかけさせてもらうと、快くプチ同窓会に参加してくれました。先生の姿を見た卒業生は大盛り上がり!『先生全然変わらない!すごい!綺麗!』の声がしばらく止みませんでした。特に、松村さん、福井さんはゼミでお世話になったことも多く、思い出話がたくさんあったようです。 先生からは「あなたたちは大人になったねぇ~」とのお言葉をいただきました。 大森先生は何百人もの学生が卒業していく姿を見届けていますが、今回のプチ同窓会の参加者のことも覚えておられました。少人数制、クラス担任制といった神戸女子大学の特徴により、教員と学生のコミュニケーションが密になっているからこそ、こうして卒業してから思い出話ができるのだなと思える出来事でした。 卒業生のガクチカや思い出を中心とした<後編>も必見です! https://nyushi.kobe-wu.ac.jp/mag/parents/article-6192/

【国際教養学科×マスコミ】就活で成功できたカギとは!?

キャンパス

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2022.7.29

【国際教養学科×マスコミ】就活で成功できたカギとは!?

今回は、グローバルな視野を育てる国際教養学科から、情報発信を担うマスコミ業界に就職が決まった在学生にお話を伺いしました。 マスコミへの就活を決めた、ある映像 ――内定獲得おめでとうございます! マスコミ業界に就職されるそうですね。どんなお仕事なんですか? 地元・鳥取県にあるケーブルテレビ局です。詳しい部署はまだ決定していなくて、入社後、適性に応じて配属が決まります。 私の希望は、報道部。ここでは「ビデオジャーナリスト方式」というシステムが採用され、自分が現場で取材した映像を編集し、原稿を執筆してナレーションを入れるまで、全て一人で行います。私はどちらかと言うと、スタジオでニュース原稿を読むより、実際に現場に出て、自分の目で見たこと、肌で感じたことを視聴者に届けたいので、とても楽しみです。 一般的にはアナウンサーが原稿を読み、カメラマンが撮影し、その映像を編集がまとめるというイメージですが、それを全て一人で受け持つなんてすごい! やりがいがあって面白そうですね。もともと報道志望だったんですか? 直接のきっかけは、2回生の時に多文化共生の授業で見た、技能実習生の映像です。日本で技能実習生として働く彼らは、四季のある生活、和の文化など、日本に強い憧れを持って来日します。しかし実際は、朝7時から夜11時まで工場で過重労働させられ、劣悪な環境下で暮らしています。その映像を通して、自分が全く知らない日本の現状に驚きましたし、それを伝えるマスコミの発信力の高さにも興味を持ちました。 ――国際教養学科の学びが報道を目指すきっかけになったんですね。他に大学の授業の中で報道に役立つものはありましたか? はい、国際教養学科のカリキュラムの中で、毎回気になる海外のニュースをピックアップし、要約して自分の意見を述べる授業があるんです。数人のグループで発表し合うので、自分以外のメンバーから世界中のさまざまなニュースを知ることができるし、同じニュースをピックアップしても人によって受け取り方が違うので、多角的に物事を捉える力が付きました。その点は、報道部で企画を考えたり、原稿を制作したりする上で役立ちそうです。 自分で見つけた、私らしい伝え方 ――具体的に、どのように就活したんですか? シンジョからマスコミ業界に進む人は珍しいので気になります! 3年生になって就活を意識しだしてから、まずアナウンススクールに通い始めました。私は現場に出たいという思いが強いので、発声練習や原稿読みといった基本的なアナウンス技術に加え、ニュースに対する意見を交換するなど、感情や状況を言語化する内容のスクールを選びました。他の受講生もやる気のある人ばかりで、すごく刺激になりましたし、話し方や物事の表現について、参考になる点はどんどん吸収させてもらいました。 ――さすが人気のマスコミ業界、準備が早いですね。3月1日の情報解禁後は、どうしたんですか? いえ、私なんて遅いくらいです。早い人は高校生の時から通っているんですよ。 情報解禁後は、気になる企業にエントリーしました。私の場合、地元・鳥取県の企業で、報道に携われるところ、とかなり条件を絞ったので、エントリーした数はそんなに多くありません。 ――最近はコロナ禍の影響で就活もオンライン化が進んでいるそうですね。 そうですね。私も、一次、二次、最終試験と、面接は全てオンラインでした。直接職場に行けず、他の応募者の様子が分からないので、「みんなはどうしているんだろう?」と気になりました。 ――たしかに、不安になりますね。 でも、面接中はできるだけ周囲のことは気にせず、自分の面接のことに意識を集中させました。相手からどう見られたいか。そのことだけを考え行動したので、あまり不安を感じることはなかったですね。 ――素晴らしい! ちなみに、どういう印象を与えようと考えたんですか? 報道志望だったので、「行動的」で「積極的」な印象を与えたいと思いました。特に二次試験の自己PRは、自分で30秒間のPR動画を作って提出する課題だったので、大学4年間所属していた「よさこい踊り」の学生チームの衣装を着て踊りました。 ――高知県のよさこい祭りがベースになった踊りですね。「YOSAKOI」という名前で全国にダンスチームがあるとニュースで見たことがあります。あの踊りなら、たしかに躍動感があってピッタリですね。 30秒って結構短いので、普通に話しているだけでは印象に残らないんです。他の就活生と差をつけたいと思い、前半の15秒間は元気に踊り、後半はチームの練習について、「夏の炎天下5~6時間踊り、毎日水を3ℓ飲みながら練習しました」「おかげですごく日焼けしました」など、具体的な内容を盛り込み一生懸命さをアピールしました。 ――内容の構成から台詞まで全部自分で考えたんですか!? もう実際の「ビデオジャーナリスト方式」と一緒ですね。 それと、話し方にも気を配りました。手振り身振りを加えたり、内容によって声の高さを工夫したり。 ――声の高さで印象が変わるんですか? はい、声の高さで印象が変わります。私は在学中、小学校の学童でアルバイトしていて、児童に大事な話をする時は、わざと低い声で話すようにしていました。説得力が増すのか、みんな普段以上によく聞いてくれるんです。 それと、もう一つ気を付けたのは口の動き。大きく開けた方が明るい表情になるので、撮影後の動画を見ながら何度も口の動きをチェックしました。納得いくものが撮れるまで、全部で100テイクぐらい撮り直したんじゃないかな。 ――100テイク! すごい数ですね。でも、やっぱり納得いったものを提出したいですもんね、お気持ちは分かります。それだけ頑張ったら、合格の瞬間は相当嬉しかったのでは? そうですね。私はかなり幅を絞って就活していたので、希望通りの会社から内定をもらうことができ心の底から嬉しかったです。 憧れのマスコミ業界で叶えたい夢 ――配属先は未定とのことですが、入社後にしてみたいことはありますか? 鳥取県は、人口流出が大きな課題になっていて、実際に地元の人たちも「魅力がない」と言っています。たしかに、神戸の都会生活に慣れた私から見ても交通の便が悪く、住みづらさを感じる部分はあります。 でも、その一方で「子育て王国とっとり」を掲げ、子育て応援パスポートによって協賛店舗で商品を割引してもらえるなど、便利なサポートがたくさんあります。なかには、情報が届いていないばかりに活用できていない人もいるはず。もし希望通り報道部に配属されたら、ニュースを通して鳥取県が暮らしやすい場所だということに気づいてもらいたいです。 それともう一つは、隠れた社会問題を伝えること。私が見た技能実習の映像と同じように、 ニュース番組を見ていると、事件の背景に社会問題や地域問題が関係していることがあります。私は、隠れた社会問題を見過ごさないことが大切だと思うので、例えば、事件が起こった原因を掘り下げ、その奥に潜む課題に目を向けるとか、過去にあった事件を掘り起こして特集を組むとか、視聴者が問題意識を持つようなニュースを伝えたいです。 2022年3月取材 ※取材時4年生 国際教養学科の資料請求はコチラ

私だけの色で、女性を輝かせたい。いま人気のアクセサリー作家は、あの瞬間まで、迷えるシンジョガールだった!?

特集

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2019.7.5

私だけの色で、女性を輝かせたい。いま人気のアクセサリー作家は、あの瞬間まで、迷えるシンジョガールだった!?

洗練されているのに、どこか手の温もりを感じる。まるで小さなアート作品のようなハンドメイドアクセサリーが、全国のショップで人気をあつめています。 作っているのは、総合生活学科を卒業した下山智子さん。シンジョでの思いがけない出会いが、人生の大きな転機となったそうです。そのエピソードから、ものづくりの魅力まで、いろんなお話をうかがいました。 100人近い作家から選ばれて、全国でアクセサリー作品を展示・販売。「もう、感謝、感謝です!」 =はじめまして、ほんとに、どの作品もステキですね。  いま、つけているのは新作ですか? ありがとうございます! これは去年の秋に発表した「-horizon-」。まるい太陽や月のなかに浮かぶ地平線をイメージしました。いまは、京都ラクエ、大阪ルクアイーレ、渋谷ヒカリエの各タピエスタイル常設店舗様で作品をお取扱いして頂いていますが、どのお店でも大変人気で制作が追いつかないほど売れています。 =一体、どうやってつくっているんですか? まずは紙に色を塗り、色の重なり方など、デザインを考えながらコラージュ。その上からコーティングして仕上げています。この技法は完全に私のオリジナルなので、完成させるまでにすごく時間がかかりましたけど…。デザインのアイデアは意外と、家事をしながら思いついたりするんですよ。 =すごい! そんな生活の場から、こんな美しい作品が… いえいえ、生活感たっぷりです(笑)。 朝は子ども2人を送りだして、家事を済ませたらずっと制作に没頭。忙しい時は夕食後の8時から夜中の2〜3時まで、作業をつづけることもあります。せっかく全国のお店に並ぶチャンスをいただいたんだから、どんなに大変でも、目一杯がんばろうと。 =「タピエスタイル」さんは、作家モノのアイテムが多い店ですよね? そうなんです。 元々は最初に作ったアクセサリーをInstagramに投稿したら友達からたくさん反響があって、「これでいいんや」って思いました。 ある程度の数が販売できた段階で次のステップとしてもっと広めたいと考えはじめて、ダメ元で、新人作家の募集にチャレンジしたら、幸運にも100人近いなかから選ばれて、号泣でした。他の作家さんと比べるとまだ荒削りな部分もあって不安だったのに、お店にも、買ってくださるお客さまにも、ひたすら感謝、感謝です。 =最初に売れたときの気持ちって覚えていますか? 本当の最初は友達が買ってくれて、「いいの?」って(笑) 店舗での最初は、納品が終わって、帰りに忘れ物があったのでお店に戻ったらひとつなくなっていたんですよ。「売れましたよ。」って教えてもらって。なんか、やっぱり「感謝」しかなかったです。 =「感謝」されることが多いですね? シャンプーのボトルのデザインとかも手掛けたんですけど、それも同級生に感謝で。美容院をしている同級生が私の絵を見てくれていて、他にはない奇抜すぎない絵が好きやっていってくれて依頼してくれました。 ロゴから全て自分で作らしてもらいました。 シンジョに入学したころは、まさか自分が作家になれるなんて、夢にも思っていませんでした。本当に、すべてはあの瞬間からです。 =その瞬間、すごく気になります! ぜひ詳しく教えてください。 「見た瞬間、涙がこぼれて…」 扉を開けたとき、自分のすすみたい道がひらいた。 =その瞬間は学生時代にもどるわけですね? そもそも、どうしてシンジョの総合生活学科に? 進学にあたって、「やりたいことが見つかっていなかった」ことが理由のひとつ。 けれど、なんとなく絵やデザインには興味があって。いろいろ選べる総合生活学科なら、何かを見つけられる気がしました。おかげで今に役立つ学びを得たものの…就活に向けて「やりたい仕事」を絞りきれず、一年生の終わりに、クラス担任の林先生の研究室へ相談に行ったんです。 =そこで、感動的なお説教を受けたんですね!? 想像ですが… 違います(笑)。 ただ、研究室に絵がかかっていたんです。林先生の描いた絵が。それがすごくきれいな色で、見たこともない技法で。感動で気づいたら涙があふれていました。と同時に「こういったことがやりたい!」と、一瞬で感じて。 先生も驚いたと思います。泣いてるし、なにか作りたいとか言ってるし(笑)。でも先生は優しくて、「がんばってみたらいい」と励ましてくれて。 =この瞬間で何かが変わったんですね? はい、変わったと思っています。 それから今まで、林先生には何かあるたび相談にのってもらっています。先生から「大丈夫」って言われるとホッとするんです。実は作品の台紙は先生のデザインなんです。「tomoiro」のロゴも先生の手描きで。今も大変お世話になっているんです。 =やりたいことを見つけて、変化はありましたか? 見違えるように、いろんな授業が楽しくなりました。気になる作家の資料を自分で調べたり、つくった作品を先生にみてもらったり。 結局、林先生のゼミに入り、卒業制作として「絵本」をつくったんです。 コラージュの技法なども教えていただいたり、自分なりにあれこれ工夫して。先生からは自由に作りなさいとだけ言われて、面白いからそのまま進めろとか、とにかく褒めて自身をつけてくれてたんだなーと思います。 本当に「楽しかったなあ」という思い出でいっぱいです。 =卒業後は、どのように作家の道へ? 私たちの卒業制作を三宮のギャラリーで展示してもらえると聞き、「私もいつかここで個展を開こう」と決心したんです。 そこで、昼は事務職でお金を貯め、夜や休日に作品をつくり、3年目にようやく実現。子育て中もなんとか制作をつづけ、何度か個展を開いた後、次のステップとしてアクセサリーづくりをはじめたんです。 =なんてパワフル!その情熱の源が何なのか、ぜひ知りたいです。 やるからには、「自分にしかできないこと」を貫きたい。 =ときには「しんどいな…」と思うこともありませんか? それはもう、何度も。最初は「自分らしいアクセサリーってなんだろう?」って悩んだ期間がものすごく長かったんです。しんどかった・・・。 あと、アクセサリーづくりをはじめたのは、絵よりも気軽に、いろんな人に自分の作品を手にしてほしいから。たとえ小さくても作品なので、表と裏で柄を変えるなど、細かいところにもこだわっています。だからこそ、大量につくるのは難しいんですよね。あちこちから追加注文が入ると、言葉どおり、うれしい悲鳴をあげてしまいます。 =そんな苦しいときの励みは? やっぱり、選んでくださるお客さまの存在です。 店頭に行くと、ステキな作家さんの作品がずらりと並んでいて、「この中から選んでもらえるなんて」とありがたい気持ちでいっぱいになります。売れるからこそ、お店に置きつづけてもらえるので。買ってもらえなければ姿を消してしまう。華やかなようで、けっこう厳しい世界なんですよ。 =これからの目標を、聞かせていただけますか? 「死ぬまで、ものづくり」。これはゆずれません。 仕事や子育ての最中でも、制作の手を止めなかったのは、「自分にはこれしかない」という想いがあったから。見つけるまでにいろいろ迷ったからかな?「やらなあかん」と自分の中で声が聞こえる気がして。だからいまはアクセサリーづくりで、ひとに喜んでもらえたら、それがすごく幸せです。 =ありがとうございました! では最後に、この取材の感想を。 え? 真剣に「私なんかでいいのかな」と悩みましたよ。 アクセサリー作家としても新米だし、大学時代に受けた授業も、好きなことしか覚えてないし(笑)。でも、私がシンジョでゼロから新しい道を見つけたように、いま「やりたいことがない」と迷っているひとにも、どこかで何かに出会ってほしいから。 私の話が、小さなきっかけになればうれしいです。 でも、私がシンジョでゼロから新しい道を見つけたように、いま「やりたいことがない」と迷っているひとにも、どこかで何かに出会ってほしいから。私の話が、小さなきっかけになればうれしいです。

【後編】めざせ甲子園!野球部寮スタッフとして球児を支える管理栄養士。その道のりには、中学生の頃からエールを届け続けた野球部への愛があった!

特集

11629

2019.4.18

【後編】めざせ甲子園!野球部寮スタッフとして球児を支える管理栄養士。その道のりには、中学生の頃からエールを届け続けた野球部への愛があった!

「楽しいから、苦じゃない。」10年以上野球部に寄り添い、念願の寮のスタッフになった、管理栄養士の夢への道のり。シンジョでスポーツ栄養を学び、甲子園名門校の寮スタッフへ。管理栄養士として夢を叶えたシンジョOGの想いと行動にせまる! 甲子園の名門校「常葉大菊川高校」で、野球部寮のスタッフを務めている健康スポーツ栄養学科出身の安原叶さんのインタビュー。前編に続き後編では、大学での学びから寮のスタッフになるまでの道のり、これからの目標などを語ってもらいました。 前編はこちら 「甲子園出場校のサポートや、プロアスリートの寮での実習。シンジョの健康スポーツ栄養学科なら、野球部を支えるための実践力が身につくと思いました。」 シンジョの健康スポーツ栄養学科に進学された理由は何ですか? 進学先を考えていた時、家にシンジョの資料が届いたんです。その中に、「甲子園出場校の食事サポート」と書かれている資料に目が留まって。大学のことを知っていくうちに、健康スポーツ栄養学科なら、選手を支えるための栄養の知識や実践方法を学べると感じて、入学を決めました。それに父が兵庫県に単身赴任していたこともあって、生活面でも安心でした。 実際に大学で学んでみていかがでしたか? 大学ではスポーツ栄養学を専攻する「坂元ゼミ」に所属していたんですが、学内で知見を深めるのはもちろん、学外での学びが多いのが印象的でした。例えば、「ヴィッセル神戸」や「オリックスバファローズ」の選手寮での実習。厨房で食事の調理補助をしながら、選手がどんなものを食べているのか、寮にはどんな補食を常備しているのか、選手は普段どのようなコミュニケーションをとっているのか。プロの現場で学ぶことができたのは貴重な経験でした。 野球部のサポートにも活かせる学びはありましたか? まさに、常葉の野球部にも活かせるものが多かったです。例えば、より栄養を吸収しやすいように、たくさんの食材を組み合わせてメニューをつくっているところや、捕食を常にストックしているところは、特に参考になりました。 卒業論文発表会の後、同期のゼミ生との一枚。坂元先生が所持しているユニフォームやサインの色紙を持って記念撮影! 「毎週のように静岡に帰省しては、野球部のようすを見て、身体測定をして。とにかく好きで、自主的に野球部をサポートし続けました。」 在学中も、野球部との関わりはあったんですか? もちろん。むしろ毎週のように静岡に帰省して、野球部の応援に行ったり、大学の機材を借りて選手の身体測定や食事調査をしたりしていました。 え、毎週!? はい(笑)。一人で機材を持って行くのは大変なので、父にも手伝ってもらいながら、野球部に通い続けました。 そこまでするとは、すごい行動力ですね! 静岡と兵庫の往復は大変でしたけど、野球部が好きだから、私も楽しんでやっていましたね。そうする中で、選手とのコミュニケーションや、応援に来ている地域の方とも交流が深まって、通っていて良かったと思います。 「選手に上手く、栄養の大切さを伝えられなかった。もっと学んで専門性を高めたい。」そんな想いから、大学院へ進学。 毎週のように通い続けて、その流れで寮のスタッフになったということですか? いえいえ。その流れで働けたら良かったんですけどね(笑)。もっと勉強しないといけないと思った出来事があって、大学院へ進学を決めました。 何があったんですか? 野球部に通う中で、選手に栄養講習をする機会があったんです。話す内容や資料の準備もして行ったんですけど、思うように上手く栄養のことを伝えられなくて。ぼろぼろでした。その時に、「このままでは静岡に帰れない。選手を支えるためにも、もっと学びたい」という想いが沸いたんです。 実際に選手へ指導してみて、ご自身の実力不足を感じられたんですね。大学院ではどんなことを学ばれましたか? 引き続き、坂元先生のもとで学びました。主には、管理栄養士の資格取得と、実践力を磨くための実習に力を入れました。 大学院で管理栄養士の資格を取得されたんですね。 そうなんです。大学では「栄養士」を取得したんですが、より専門性を高めたいと思って、管理栄養士になろうと思いました。 そういえば、栄養教諭の道はどうなったんですか? 大学2年生まで教職の授業も受けていたんですけど、野球部のサポートに力を入れたいと思って、管理栄養士のほうに道を絞りました。 とことん、野球部のために行動されていますね。 だから、大学院ではより自信をつけたくて。国家試験の対策ではなかなか合格ラインに達しなくて不安でしたが、先生にサポートしていただきながら、無事合格できました。あと、坂元先生のつながりで、甲子園にも出場している高校の野球部寮で実習させていただきました。そこでも調理補助などしていたのですが、常葉の野球部と似たような環境で学べたことで、より実践的なスキルや知識が身につきました。 大学院に通ってみて、自信はつきましたか? そうですね、特に国家資格を取得できたのは大きな自信になりました。これで、より深く野球部をサポートできるって。 「常葉の食事を変えたいと思ってる。一緒に働いてくれないか?」監督からの依頼がきっかけで、ついに野球部寮のスタッフへ。 大学院で学ばれてから、寮のスタッフになるまでにどんな道のりがあったんですか? 野球部のサポートをしたいとは思いつつも、企業に就職したほうがいいんじゃないかという迷いも出てきて。 あんなに野球部を想って行動していたのに? やっぱり、想いだけではどうにもならないこともあるんです。常葉の募集を見たり、管理栄養士の求人が出ていないか確認するために何度もハローワークへ足を運んだんですけど、なかなか仕事がありませんでした。だから就活をして、給食会社から内定をもらったんですけど、本当にこれでいいのか、ずっともやもやしていて…。 野球部を食からサポートしたいけど、勤め先がない。葛藤があったんですね。 はい。坂元先生にも相談したら、アスリート向けのアプリ会社をご紹介いただいて、まずはそこで働きながら、野球部をサポートするタイミングがくるのを待とうと決めました。 まずは企業への就職の道を選んだんですね。 そう思っていたある日、野球部の高橋監督から「グラウンドに寄ってほしい」と連絡があったんです。 安原さんと、常葉大菊川高校野球部の高橋監督。 監督から!? はい。それで常葉のグラウンドへ行ったら、「寮の食事を変えたいと思ってる。一緒に働いてくれないか?」というお話いただいたんです。 監督から直接オファーがあったんですね! そうなんです。ちょうど寮の食事をつくる委託会社の契約が終わる時期だったそうで、高橋監督から直接、寮の食生活を支えてほしいと依頼をいただきました。 安原さんのお返事は…? もちろん、「やります」。中学生の頃から10年以上も野球部を応援し続けて、 ついにスタッフとしてサポートするという夢が叶いました。 ではここで、高橋監督にもお話をお伺いしたいんですけども。監督から見られて、安原さんはどのような印象がありましたか? 高橋監督「叶ちゃんはいつも応援に来てくれていて、自主的に野球部をサポートしてくれていました。兵庫県から遠いのにね。あまりにも熱心で、ストーカーじゃんって思うくらい(笑)。」 安原さん「いやほんと、ストーカーですよね(笑)。」 なぜ安原さんに寮のスタッフを依頼されたんですか? 高橋監督「ちょうど寮の食事を変えたいと思っていて、うちの野球部のことも、1年間のスケジュールも分かってくれている叶ちゃんなら、安心して頼めると思いました。野球部への熱意と行動力に、僕自身も心を動かされたんです。」 安原さんは、高橋監督から声がかかった時、どう思われましたか? グラウンドへ行った時、監督がにやにやしながら話しかけてきて、最初は何があったのかと思いましたよ。そしたら、寮のスタッフのお話をしてくださって。ずっと自主的に野球部をサポートし続けてきた結果が実ったなって、本当に嬉しかったです。 「想い続けた、甲子園100回大会。サポートしたいという気持ちを叶えることができました。」 ずっと願い続けた野球部での仕事。今働かれていて、どんなお気持ちですか? 2018年は、甲子園の100回大会がありました。先ほどもお話したように、昔から100回大会を意識していて、絶対にサポートしたいという想いがあったので、念願を叶えることができて胸がいっぱいです。 食からサポートするにあたって、心がけていることはありますか? ふだんの食生活では、栄養バランスも大切ですが、何よりもおいしく、楽しく食べてもらうことが一番。選手に食べたいものを聞いて、献立に取り入れるようにしています。 安原さんの献立ブック。その日のメニューや食材が書かれています。 さらに大会前や試合中の健康管理には、特に気を配りました。夏は熱中症対策のために、試合中も梅干しを食べさせたり、レモンを細切りにして「はちみつレモン」をつくって飲ませたり。 2018年は、常葉大菊川高校も甲子園に出場されていますね。 はい。私がずっと意識していた100回大会にも出場して、結果ものこしてくれて、選手たちは本当によくやってくれました。甲子園の試合にも帯同することができて、トレーナーと連携しながら、試合中もサポートすることができました。 夢を叶えることができたんですね。 感無量です。 では高橋監督と、選手の皆さんにお話を伺いたいのですが、安原さんの食事はいかがですか? 高橋監督「叶ちゃんが食生活を管理するようになってから、風邪をひく選手が減りました。選手たちのパフォーマンスも上がりましたし、心強いですね。それに栄養バランスはもちろん、おいしい食事を心がけてくれているので、不満は一切ありません。」 選手さん「食べたいものをリクエストしたら応えてくれるので、それが嬉しいです。唐揚げや焼き肉が人気で、ごはんの時間はいつもにぎやかで楽しいです。」 選手さん「僕は寮のごはんを食べるようになってから、身体も強くなってパフォーマンスが上がったと思います。」 「毎日が、記念日。楽しいから、忙しくても苦じゃありません。」 お仕事をかけ持ちされていて、朝も早くて、楽な毎日ではないと思います。正直、やめたいと思ったことはありませんか? ないですね。楽ではないけど楽しいんです。毎日が記念日みたいで。 やっぱり、楽しいというお気持ちが強いんですね。 大学時代に何度も常葉へ通ったのも、私自身が楽しんで、好きでやっているから。野球部を応援することも、野球部を応援する地域の人とつながることも、楽しかったんですよね。 「楽しい」「好き」という気持ちが、安原さんの行動力の源。今までのお話を聞いて、深く理解できました。 それに、今こうして野球部寮のスタッフとして毎日を楽しめているのも、シンジョでの学びがベースにあると思います。坂元先生のサポートや大学で培った専門性があるから、今の私がいる。機材を快く貸し出してくれたり、選手との関わり方をアドバイスしてくださったり、私の行動の背景にはいつも、大学のサポートがありました。 高校球児だけでなく、静岡の子どもたちの食生活を支えていきたい。 これからの目標を教えてください。 常葉の野球部をサポートしながら、静岡の食育の発展にも関わっていきたいと思っています。 具体的にどういうことですか? ある調査によると、静岡県で生活する子どもたちの身長や体重が、全国平均を下回る傾向にあるんです。実際に常葉の野球部に入部する生徒も、他校と比べて身体の小さい人が多い気もします。静岡を拠点に活動する管理栄養士として、これはほっておけないと感じていまして。身体の成長は子ども時代の食が大きく影響していますから、子どもの食育活動にも携わっていきたいですね 。 ありがとうございました!

【前編】めざせ甲子園!野球部寮スタッフとして球児を支える管理栄養士。その道のりには、中学生の頃からエールを届け続けた野球部への愛があった!

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2019.4.18

【前編】めざせ甲子園!野球部寮スタッフとして球児を支える管理栄養士。その道のりには、中学生の頃からエールを届け続けた野球部への愛があった!

「楽しいから、苦じゃない。」10年以上野球部に寄り添い、念願の寮のスタッフになった、管理栄養士の夢への道のり。シンジョでスポーツ栄養を学び、甲子園名門校の寮スタッフへ。管理栄養士として夢を叶えたシンジョOGの想いと行動にせまる! 甲子園の名門校「常葉大菊川高校」で、野球部寮のスタッフを務めているシンジョの卒業生がいます。2016年に健康スポーツ栄養学科を卒業、2018年に健康栄養学研究科を修了した安原叶さん。なぜ野球部の寮で働いているの?寮のスタッフとしてどんな仕事をしているの?なぜシンジョに入学したの?この記事では前編と後編に分けて、安原さんの野球部への愛や、寮のスタッフとして働くまでの道のりを語ってもらいました。 朝は毎日5時起き。野球部寮のスタッフとして、選手の食生活を支える。 静岡県菊川市にある野球部寮 はじめまして!今日はよろしくお願いします。野球部の寮って、初めて来ました。安原さんはいつもここで働かれているんですか? 菊川へようこそ!そうです、ここが私の職場です。2018年4月から、 野球部寮の管理栄養士として、主に食生活の管理をしています。具体的には、朝と夕食の献立作成や調理補助、選手への栄養講習などを行っています。 いつも、どんなスケジュールで働かれているんですか? 朝は5時に起きて、車で出勤。選手の朝食時間に合わせて、食事をつくります。 調理師と一緒に、私は調理補助や配膳を担当しています。夕方は、野球部の練習終わりに合わせて夕食をつくって、片付けをします。一通り仕事を終えて、帰宅するのが21時くらいですね。 選手と監督合わせて25名分の食事を準備。新学期になると新入部員も増えて、40名分の食事をつくります。 すごく朝早いですね!大変じゃないですか? 慣れました(笑)。それに 実は、野球部寮のスタッフは副業で、本業はアスリート向けアプリを開発している会社でデータ分析をしているんです。リモートワークがOKな会社なので、昼間は野球部寮で本業をしています。さらに月曜日と木曜日は、お弁当をつくっている会社に出勤し、出荷作業やお弁当のレシピ開発も手がけています。 え、 野球部寮のスタッフが副業なんですか?朝夕の食事をつくりながら、昼間は他の仕事をかけ持ちするって、安原さんパワフルですね! 「選手の楽しそうなプレーを見て、家族もみんな楽しそうに応援していた。中2の頃から、常葉のファンなんです。」 野球部寮で働かれているということは、野球がお好きなんですか? 私は中学2年生の時から、この野球部のファンなんです。私の両親も応援していたし、静岡出身ということもあって、地元の野球部である常葉大菊川高校を応援していました。 なるほど、もともと野球部を応援されていたんですね。野球部のどんなところに惹かれたんですか? 私が中学生の時に、常葉は甲子園で優勝・準優勝という結果をのこしたんです。応援している私たちにとっても見応えのある野球をしていたし、選手の家族も楽しそうに応援しているのを見て、みんなを楽しませるプレーができるのってすごいなと思いました。 「給食委員をしていた時の、栄養教諭の方にあこがれて。いつも笑顔で生徒に接している姿を見て、私もこんな仕事がしたいと思いました。」 食や栄養の仕事に興味を持ったのはいつ頃ですか? 同じく中学生の時。当時は学校で給食委員を務めていて、そこでは栄養教諭の先生が指導されていたんです。それまで栄養教諭の存在を知らなくて、こんな仕事もあるんだと思いました。 中学生の時から、食に興味があったんですか? いや、むしろほとんど興味はなかったですね(笑)。ごはんは食べないし、食生活はめちゃくちゃでした。今ふり返ると、ちゃんとしておけばよかったって思いますけどね。 給食委員になるくらいだから、食べるのが好きとか、食に興味があるんだと思いました(笑)。その逆だったんですね。でもなぜ、食や栄養に関わる仕事に就こうと思ったんですか? 食や栄養の仕事に興味を持ったのは、栄養教諭へのあこがれがきっかけでした。いつも笑顔で生徒に接しながら楽しそうに働いている先生の姿を見て、「私もあんな人になりたい」って。それから、栄養教諭や管理栄養士をめざすようになりました。 「高校生の時、怪我をして苦しんでいる選手の姿を見て、食から選手を支えたいって思ったんです。」 野球部との関わりや、食や栄養の仕事に興味を持ったきっかけは分かったのですが、最終的に、常葉大菊川高校の野球部寮のスタッフとして働こうと思った理由は何ですか? 常葉大菊川高校は私の母校でもあるんです。進学クラスにいたから、野球部と直接関わることはなかったんですけど、試合も観に行って、影から野球部を応援し続けていました。 なるほど、母校だったんですね!中学生の時から応援していた野球部がさらに近い存在になって、気持ちも上がりませんでしたか? そうですね〜。私はマネージャーでもなかったので、あくまでも遠くからエールを送ることしかなかったんですけどね。でも、楽しい、嬉しいという気持ちよりかは、心配な気持ちのほうが大きかったです。 何かあったんですか? 私が在学していた3年間、野球部は一度も甲子園に出場することがなく、むしろ怪我をする選手がとても多かったんです。松葉杖をついている選手がいたり、ベストメンバーで試合に挑めなかったりと、見ていて心苦しかったです。 それは応援している側もつらいですよね。 そんな野球部の姿を見て、「私もどうにかして手伝いたい。野球部を支えたい」って強く思いました。 それが、寮のスタッフとして食生活を支えるきっかけになったということですか? はい。栄養教諭や管理栄養士になりたいという想いと、野球部を支えたいという想いが重なって、「食から野球部を支えたい」って。特に、2018年は全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回目を迎える記念の年でもありますから、その時には常葉ファンとして、何らかの形でサポートしたいと思いました。 さすがファン。高校生の時から100回大会を意識されていたんですね(笑)。 はい(笑)。それは絶対に関わりたいなと。それで、大学はスポーツ栄養の道へ進もうと思いました。 後編へ続く

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